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思ったことを書く。

本当の優しさとは?

「本当の優しさ」とは?と考える。

困ってる人、苦しんでる人
そういう人はよく見る。

弱音を吐いたり相談したり
そういうのは割りと誰でもやるものだと思う。


ここからは自分の考えで、
まず弱音を吐いたり相談したりするってのはSOSだと思ってる。
単純に悩みの解決方法だけを相談するってのはあまり無いと思っている。
というか人ってそんなにバカじゃないんだから、自分がどうしたら楽になるかとかどうすべきなのかとかはそれなりに分かってると思う。


日本人って内弁慶だからさ、苦しいときや助けてほしいときに
「私は今苦しんでいます。こうされたら楽になります。だからこういう風にして私を助けてください。」
なんて言えないじゃん。
てか日本人じゃなくてもここまで言える人はなかなかいないと思ってる。
助けを求めたりするのも結構勇気いるし。



大抵の人は誰かに相談されたらさ、
「○○みたいにしてみたら?」とか「○○みたいに考えてみたら?」とかアドバイス的なことを言うんだよね。



弱音を吐いたり人に相談したりしたことが一度もない人はまずいないと思うけど、弱音を吐いたり相談したりすることが基本的にはSOSなのは万人に共通してるのに、いざ自分が相談されたりしたら人は基本的にアドバイスしかしない。



それは基本的には善意で行われてるものだと思うけど、根本的な解決にはあまりなっていないと思ってる。

まず、基本的に自分がどうしたら楽になるかとか人は分かってると思うし
仮にアドバイスしたとしても頑張るのは本人なんだよね。

新たな選択肢を出されたところでそれを行うのは本人
新たな解決策を提案されたところでそれを実践するのも本人

自分一人で歩き出せたり行動できるぐらいなら初めから弱音吐いたり相談したりしないと思う。
というかアドバイスとかされたからと言って、それを簡単に行うだけの元気は苦しいときにはなかなかないと思ってる。



例えばの話だけど

自分にとって物凄く大事な人が弱音吐いたり相談したりしてきたら、きっと大抵の人はまず元気付けようとすると思う。

だって大事だから。
まず元気になってほしいから。



おれの考えだけど

必ずしも全員がそうとは言い切れないが、
基本的に人に相談されてアドバイスだけを言う人はその人にあまり興味がない。
もしくは優しくない。
と思ってる。


だってわざわざ自分が動くの面倒だから。
そこまでしてまで助けるメリットがないから。





これは極論だが、道端で倒れてる人がいて
AとBの人がその人に声をかけたとき


Aの人は「大丈夫ですか?救急車呼びますか?」と声をかける。


Bの人は「大丈夫ですか?もし動けないなら救急車呼んだら助けが来ると思うので救急車呼んだら良いですよ」
と声をかける。


これってどちらが優しいだろうか?

どう考えてもAだよね

普通に考えて倒れてる人が自分で救急車呼べるほど余裕があると思わないし、
仮に余裕があったとしても倒れてる人いたら助けが必要だと普通は感じる。



基本的に人は自分のことしか考えていなくて自分のことだけで手一杯でわざわざ他人を助けようとしない。
もしくは他人の苦しさとか痛みに気付かない。

そういう人がいたとしても、かなり少数派。


本当に心の底からの善意でアドバイスをしてるなら、まずその人に元気になってほしいと思うはずだから
まず自分が動こうとすると思うんだよね。




これは自分の話だけど、
昔っから落ち込んだり元気無い人を見るとまず自分が元気付けようとしていた。


なんか本能的に「まず自分がその人を助けよう」とか「まず自分がその人を元気付けよう」とか
そういう風に思ってたんだよね。

それは今までに書いていたことを子供の頃から本能的に分かっていたから。




自分自身が切羽詰まったり苦しくなることが増えてから
よく他人に相談したり弱音を吐いたりすることが増えたんだけど


その度に他人は「○○してみたら?」とか「○○みたいに考えたら?」とかアドバイスをしてきた。


それを聞く度に「いや、まずお前が元気付けろよ。お前が助けろよ。」
といつも思った。

何故助けを求めてると分からないんだろう
とムカついていた。


そういう風にアドバイスしてきた人が全員自分に無関心とかではなく、善意でアドバイスしてる人もいたと思う。というかどちらかと言えばそういう人が多かったと思う。



けど、基本的に人は他人の痛みなんか分からないで生きているんだと思った。
もしくは分かってもわざわざ自分は動かないんだとも分かった。
めんどくさいから。
わざわざ関わったところで良いこともないしね。




自分自身の意識では

学生のときとかさ、
友達とかが困っていたら助けるのが当たり前だと思いながら接していた。

「助けとか求められたら絶対に助けるわ」とか
「てかそうすんのが当たり前じゃん」

って思いながら生きてた。


実際にそういう風に助けを求められたりしたことはそんなになかったし
周りで物凄く落ち込んでた人もそんなにはいなかったけど(自分に見せないようにしてただけかもしれないけど)


けどまぁ、悩みとか話してきたり愚痴とか話されたら親身に協力していたりはした。





けど、自分自身が切羽詰まったり苦しくなったとき
周りの今まで友達だと思っていた人たちは助けてくれなかったし支えになってくれなかった。


なんか色々裏で噂されたりとはしてたみたいだけど


だからといって連絡してきたような人もいなかったし、たまに会って遊んだような友達もふざけて茶化したりしてきたことが多かった。




その時に、
自分自身の他人に対しての優しさの価値観と、
他人が抱く優しさの価値観は違うんだと思い知った。

まぁ学生のときの友達とかヤンキーとかDQNとかそっち系のやつ多かったしね。
よくつるんでたのもそういう連中だったし。

中学の時はまだちょっとやんちゃだな程度で自分も付き合えてたけど、
大人になっていくにつれてどんどんそっちの道に進んでいってどんどんいい加減な人間になっていって反りが合わなくなっていった。




自分が優しいのは子供の頃から自分で分かっていたが、
自分が他人に助けてもらわなきゃ生きていけないような状況になって初めて自分があまりにも優し過ぎるんだと思い知った。







また話変わるけど

例えば、正義感溢れる教師が二人いて

教え子から「クラスでいじめられてる」と相談されたとする。


Aの教師は
あまり大事(おおごと)にせず、その子の保護者や加害者の保護者に話し合っていじめを無くすようにしたり保健室などに掛け合ってその子が学校に来やすいようにした。


Bの教師は
その子がいじめられてることをクラス全員の前で言ってクラス会議を開いていじめをやめるように言った。




これって果たして、どちらがその子にとって心地良い解決法だろうか

少なくともBの教師がしたことはその子にとって心地良いとは思えない。






今までの経験で分かったことなんだが

優しさにも「センス」が大事なんだと分かった。



ただ優しいだけ、ただ優しくしたいだけ、ただ優しく見えるだけ

それだけじゃ本当の意味での優しさなんかにはなり得ないんだと分かった。



「優しく見えるだけの人」なら割りと世の中溢れてるしね。

そんなに騒がしくなくて
そんなにはっきり物事言わなくて
そんなに怒ったりしなくて
そんなに過激なことも言わなくて
そうしてれば取りあえず優しくは見られる。
日本人は特に内弁慶だから。


まぁそういう人はいじめられてる人を見ても
「可哀想だなぁ」って思うだけで終わる人間だけど。
おれそういう奴大っ嫌いだけど。

てかそういう奴嫌いってのもあるけど、一番ムカつくのはそういう奴が周りの大多数から「優しい」って思われてるみたいな風潮が死ぬほど嫌い。
思ってる奴も思われてる奴も嫌いだし。

似たような現象として、
ただしゃしゃってるだけとか
意気がってるだけとか
でしゃばりなだけのうるさい奴とか
ただ言いたいことズバズバ言うだけの奴が
クラスのまとめ役とかによく任命されるみたいな現象はよくある。別にまとめる力とかリーダーの力とか糞ほどもないのに。
日本っていう内弁慶な価値観の人間で溢れてる世界の中でよく起きる現象。
そういう奴も大っ嫌いだけど。


まぁ後者の話は
本来書きたかった本筋とはまた話変わるけど。














自分が弱くなってから
他人や公共の機関に頼らざることを得なくなったことが増えたんだけど、
基本的にどこもポンコツだと思った。



「規則だ規則だ」そんなことばかり言って目先で困っている人をまず助けるみたいなことがなかった。



まぁそりゃそうだよね。

今の世の中困ってる人を助ける制度とか色々あるけどさ
結局は審査が必要とか段階が必要とかで
時間もかかればそう簡単にも助けてもらえない。


老人ホームとかだって
結局は金払わなきゃ入れない。

生活保護だって
結局は審査が必要とかなる。





家族がボケてる。
けど金がない。だから老人ホームに預けられない。
だから一人で介護をする。介護することに精神的にも肉体的にも疲れる。
その結果、家族を殺して自分も死ぬ。




親との折り合いが悪くて家を飛び出して一人で生きてる。
けど金がない。働けるあてもなかなかない。
だから生活保護を頼る。
けど窓口にいけば「親がいるなら親を頼ってください」
その一言で片付けられる。




そんなケースは世の中ざらにあって、
結局は世の中にある「困ってる人を助ける」
って制度ですら
「ある程度余裕がある人しか助けてもらえない制度」
になっている。





政治のこととかあまり詳しくはないけど、

机上でああでもないこうでもないって論争してて、実際の現実的なとこなんも改善されてなくて、
けど自分達は高い給料貰いながら政治家って椅子にふんぞり返ってる
みたいな


なんか世の中色々と腐ってるなーって思う。

別に政治家だけのことではなく、
本来人を助けるはずの職業や立場のものとか色々と。




なんか自分はそういうののせいですっごい嫌な思いとか沢山してきたので



細かいこととか抜きにして取りあえず困ってる人とか苦しんでる人とか助けられるような人になりたいと思った。
というか助けます。
下らないしがらみとか規則とかそんなんばっか優先して誰も助けられないとかマジでうんざりなので。
















テレビで見たのだが、
芸人って本当の意味で人を助けてあげてるような人が多いよね。

金がない後輩に対して飯おごってあげたりとか
泊まるとこないから泊めてあげたりとか

そういう話はよく聞く。





芸人の世界って縦社会めっちゃ厳しそうだし
そもそも芸人で金稼いで食っていくってことがかなり大変そうだし
何年も売れないとかバイト何個も掛け持ちしてるとかよく聞くし



そういう厳しい世界で生きている人たちだからこそ、他人に優しくなれたり助けてあげられたりするんだろうなー

と思った。





大事だよねそういうのって。





まぁ色々書いたけど最終的にまとめると



本当の意味で他人に優しく出来たり
本当の意味で他人を助けてあげられたり



そういうことができる人間に自分はなりたい。